柴又に再び散る
4年前に挑戦した柴又100キロは90キロで時間切れとなりましたが、
今回はそれ以来の挑戦で完走を目指しました。
スタート時刻7時30分で、制限時間は14時間ですので、夜9時30分まで走ることが可能でした。
前回あと10キロが走れずに終わり、その時の喪失感で、走ることに情熱を失っておりましたが、やり残し感が、どうにも解消できず、今年3月に再挑戦を決めました。
それ以来、一生懸命、練習をして、この3カ月で800キロぐらい走りました。酒も絶ち、晩酌はノンアルコールビールで我慢してきました。事前に70キロ走の練習もやったし、なんとか走り切れるかな位の感覚で、当日を迎えました。
スタートの天気は快晴、しかも北風が強く、時に体が揺さぶられるほどでした。
日差しが強く、逆風で、思うように足が前へ進まない状況が続きました。
15キロを過ぎたころから、1キロ7分ペースがキープ出来なくなりました。
1キロ7分は普段なら、かなりゆったり走っているペースですが、それが序盤で維持できなくなるとは、どうしたものか?体が重い、おかしいと少々焦りながら、走っていました。
そして30キロを過ぎると、足が攣りだしました。しかも両足が。。。
「あと70キロもあるのに、こんな所で、もがいているようじゃ駄目だ」と思いつつ、
とうとう歩き出しました。その辺りでは、結構、歩いている人もいて、
「今日のレースコンディションは厳しいよね」 早々と慰めモードとなってしまいました。
歩いたり、走ったりの繰り返しで、どうにか50キロ折り返しの休憩所に到着しました。
そこで頂いた、冷やしうどん、トマト、すいかの味は最高でした!
この補給で元気モリモリといきたいところでしたが、どうにも回復しません。
中間地点で既に7時間が経過しており、あと半分を同じペースで行っても14時間の制限時間
ぎりぎりです。途中の関門でストップされる可能性が大きくなってきてました。
しかし、最近、会う人、会う人に100キロマラソンに挑戦すると言いまくってきたため、
こんな早く止める訳にはいがず、再び歩き始めました。
一緒に歩いている若者に「きついですね」と声を掛けると、「次の60キロの関門まで、あと1時間半ですが、このまま歩いていたら、間に合いません。僕はもう諦めますが、どうぞ、頑張って走って下さい」と、なぜかオジサンが若者に励まされ、ゆっくりと走り出す。
ようやく60キロ関門に到着しましたが、関門締切の3分前でした。そこでレースを棄権する人も多くいましたが、私は、もちろん前へ進みました。
レースを続けるものの、次の関門が80キロで、どう考えても、その関門は突破できそうに
ありません。ならば、ここから、ゆっくり80キロを目指そうと、完全に歩き出しました。
歩き始めると数名に抜かれましたが、気に留めることもなく、自分のペースで歩いていました。
その時、ふと後ろを振り返ると、「係り」というグリーンのビブスを着た三名の自転車部隊が、そろり、そろりと付いてきていました。
始めは気付かなかったのですが、もしやと、もう一度振り返り
「もしかして、私が最後尾ですか?」と聞くと
「そうです」と即答。
とうとう私は3000人が出場した大会の最後尾となっていたのでした。
強心臓の私も、さすがに80キロまで、だらだら歩いていたら、係りの人達の撤収時間が
遅くなり、大会の運営にも迷惑が掛かるだろうなあと思い、そこで棄権を申し出ました。
程なく、収容車がやってきて、柴又のスタート地点まで強制送還となりました。
今回は残念ながら65キロで終わりました。
この3か月の努力は、いったい何だったんだろうと呆然としながら家路につきました。
またしても栄光のゴールを歓喜の声を張り上げて、駆け抜けることが出来ませんでした。
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「この歳になって、挑戦する事が大事。結果はともかく」と奥方に妙な励ましをもらうものの、
努力は必ずしも報われないものなのねと心晴れず。
60歳までは走力はアップするからと75歳の先輩に叱咤激励されたので、
来年また挑戦するか、心と体を休めながら考えます。 とほほ。
業務統括事業部 新保
株式会社