あの頃の自分と今の自分
先日、高校時代のクラス会があり、10数名の旧友に会ってきました。
額の面積が拡大してしまった同級生も何人かいましたが、皆、元気そうで何よりでした。
文系理系が半々で大学時代の仲間より多彩な面々が集まった感じでした。
中学生の時は優等生を気取ってましたが、高校に入ると成績が3とか2しか取れず、目立たない存在になりました。活躍するのは体育の時だけ。体育祭、球技大会だけが、自分の輝ける時間だと真剣勝負してました。高校2年の時には体育の先生になろうと決意したものの、部活の柔道で腰を痛め、半年間、動けなくなり、その道も断念しました。
目指す道も定まらず、自分探しのだらだらした日々を送っていると、担任の先生から「努力しない者は絶対に成績は上がらないわよ」とダメ出しされたこともありました。
でも周りのクラスメートが、かなり真面目で、コツコツ努力していたので、自分も半周遅れで受験勉強を始めたのを記憶しています。
あれから35年の歳月が流れ、良きライバルも黄昏時を迎え、気力、知力、財力は充実しているようには見えるが、体力がどうみても衰えている様子。
この中でフルマラソンを走れるのは俺だけだと心の中で優越感に浸るものの、別に誰も気に留める様子もない。そう、もうどうでもいいのである。あと25年後にはこの世に居ないかもしれないのだから。
そうだ。昔の自分はいつも誰かと競争していた。でも今の自分は昨日の自分と競争しているのだ。
マラソンと同じではないか!
次の日も二日酔いの中、いつものマイコース、葛西臨海公園まで走った。他人の走りを気にしている自分に苦笑いしながら。
業務統括事業部 新保